僕はiPhoneというものを使い始めてからと言うもの、ず〜っとそれを手放さずに持ち歩き続けています。
もしも、少しの間でも手元を離れていると、眉毛の辺りがビクンビクンしてきちゃいます。
なんというかすっごく不安なのですよね・・・
何をするにも手放さず、何かわからないことがあるとすぐにiPhone、もしくはMacを使って調べるのです。
特にiPhoneは持ち歩くことが可能なので、常にポケットに入れて生活をしています。
例えば、初めて土地の土地に訪れた時には、地図アプリが欠かせないですよね。
iPhoneに表示された地図を眺めながら目的地を目指せば、方向音痴の僕でも迷うこと無く必ず到着することが出来ます。
もはや、iPhoneを始めとするスマホなどの情報機器は、人間にとっての第2の脳と言っても過言ではないです。
それが良いことなのか悪いことなのかは、賛否両論あると思います。
でも、僕にとってiPhoneは必要で、なくてはならない存在なのです。
【スマホ中毒】いつもiPhoneと一緒!
考えてみれば、いつもiPhoneと一緒の生活を送っております。
外出するときはもちろんのこと、室内でもちょっと移動するときにも手に持って移動するし、寝るときも枕元にも持っていきます。
流石に風呂場に持っていくことは出来ませんが、手垢などがついて汚れた時はフキフキしてあげますよ。
なので、片時もiPhoneを手放すということはありません。
やはり不安なのですよね・・・iPhoneが手元にないと。
もしかしたら誰かからメールなどが来るかもしれないし、何か調べ物をしたくなった時に端末がないと、挙動不審になってきちゃいます。
iPhoneのディスプレイが割れた時
実は先日、ちょっとした不注意でiPhoneのディスプレイ画面を割ってしまった!と言う事件がありました。
もうね、本当にこの時ばかりは生きた心地がしませんでした。
ディスプレイのガラスが割れたことがわかった瞬間、何が起こったのか全く理解できませんでしたから・・・
数日後に、銀座のAppleStoreに修理に行ったらすぐに直ったので、本当に良かったです。
でも、実はこの時、修理の待ちで1時間ほどiPhoneを手放すという事になりました。
iPhoneが手元にない状態で待たなくてはいけないということに、ヒジョ〜に不安感を感じちゃったのですよね・・・
たった1時間でしたが、1時間半くらいの時間に感じてしまいました。
修理待ちの間は、銀座の街をぶらぶらしながら時間を潰しました。
でも、この1時間の間は、AppleStoreの付近の地図を調べることも出来ないし、ふと何か思いついたことをカレンダーにメモすることも出来ません。
地味に不便だったのは時間が確認できないことでしたね。
いつもiPhoneを時計代わりにしていたので、1時間後に修理完了すると言うのに、その時間がわからないというのがどうしようもなく心配に感じました。
とりあえず、時計のある場所を求めて街をさまよいましたから。
昔は気にならなかったのにね
誰でもそうだと思うのですが、何年か前はiPhoneはおろか携帯電話がすらもない時代もありました。
初めて携帯電話を使い始めたのが高校3年生の頃で、iPhoneを使い始めたのは大学院生の時代でした。
もちろん、携帯電話を持っていない時は、こんな不安感を感じるということは全くありませんでしたよね。
と言うかそれが当たり前でしたから、当然といえば当然のことですよね。
便利になりすぎた
で、その時はどうやって過ごしていたのかと言うと、時間を確認するのは腕時計をしたりとか、道がわからなくなったら交番で聞いたりしていました。
そういえば、学生時代に渋谷の交番で「この辺で美味しいラーメン屋を教えて下さい」と尋ねたこともありますよ。
今では、iPhoneでブラウザやアプリを使って検索すればすぐに情報が出てきますから、すごいことですよね。
それにわからないことがあったら、そのまま放置するか、近くに人がいれば誰かに聞いたりしていました。
と言うか、疑問に思ったことをググらないで放置するなんてことは今では考えられませんね。
今思えば、ものすごく非効率的なことをしていたのですよね。僕たちは。
まあ、今の時代というのは、逆に言うと便利になりすぎたのかもしれません。
人間というのは、常に「ないものねだり」をしてしまう生き物です。
なので、「できる」となったらそれが当たり前になってしまうのです。
で、今まで当然できるとなっていたものが「できない」となった時に、ものすごく不安に感じてしまうのですよ。
だから、iPhoneなどのスマホを誰もが持ち歩く時代というのは、便利ではあるけれども、それと同時に新しい「不安」も感じるように変化させてしまったのでしょうね。
まあ、いいんだけどね!
スマホに依存することの賛否
最近では「スマートフォン依存症」なんて言う言葉も生まれて、けっこう深刻な社会問題となっている感もあります。
でもね、これは仕方のないことなのですよ。
だって、iPhoneは便利ですから。
便利で楽しいものに人間が飛びつくというのは当然のことですからね。
こればっかりは仕方のないことだし、技術の発達のもたらす自然な結果と言えます。
このスマホの問題って賛否両論あると思うのですが、個人的にはこれで良いと思っています。
だって、こんなに便利なものを使わないなんてもったいないですから。
結局のところ、ここで「スマホ反対!」みたいな事を言っても、先に進むことが出来ないからです。
むしろバンバン活用して、もっともっと便利に使いこなしていくべきです。
そうすることで、新しくもっともっと便利な物が世の中に登場して、もっともっと世の中が便利に発展していくと思います。
便利で新しい物を使わないというのは、発達することを拒否していることと同じですからね。
まとめ
最近、iPhoneが手元にないと落ち着かないということに気付きました。
もうね、ある意味病気ですよね。
でも、これはこれでいいと思っています。
手元にもう一つの脳みそがあるような感じで、いろいろなことを調べたりメモしたりを簡単にできるのが良いです。
そのおかげで、自分の頭だけではなくて手元のiPhoneと一緒に物事を分散して考えたりすることができるようになりましたから・・・
インターネットの発達やスマホの普及によって、人間の学習能力が下がったということをいう人がいますが、それは間違っていると思います。
今の時代はスマホと人間はセットで考えるべきだと思うのですよね。
なので、総合的に見たら、むしろ人間の能力は上がっているはずなのです。
最近だとAppleWatchなんかも発売されて、さらに人間とデジタル機器の一体化が進んだように感じます。
きっと、AppleWatchなどのウェアラブルデバイスがもっと発達すると、もっともっと便利な時代になるのでしょう。
また、人間と端末との関わり方ももっともっと密接な関係性になってくるに違いないです。
まあ、そんなわけなので、これからもiPhoneをバリバリ使っていきたいですね。