アートの1つの方向性として、「そのものの本質であるけれど、わかりにくい情報を視覚化する」というものがあります。
とある「物」をひと目見た時に、それだけではそこに含まれているメッセージや裏側は伝わってこないことが多いです。
そんな時に、その物のビジュアルを変化させて作品を観る人にそれらをわかりやすく伝える、というようなことですね。
で、今回のテーマは『3冊の辞書』です。
これは、僕が中学生や高校生の時に使っていた『英和辞典』『国語辞典』『和英辞典』です。
最近ではインターネットの検索機能の発展のお陰で、全く使うことがなくなってしまいました。
辞書というのは、言ってしまえば人間の語学に関する知識が詰まっているような書籍です。
『知識』という情報が紙の束に印刷されているのです。
しかし、辞書というのはアナログな手法でまとめられた物であるにもかかわらず、非常にコンパクトです。
当然ですけど、片手で余裕で持つことができるくらいです。
でも、よ〜く考えてみると、1冊の辞書には気の遠くなるような量の文字が書かれているということが想像できます。
何しろ一冊につき、約1000枚ほどの紙がぎっしりとなっているわけですから。
しかし、相当な情報量であるにもかかわらず、外見だけではその情報量の膨大さはイメージしにくいです。
情報がぎっしりと詰まっている『辞書』を塊状にして、わかりやすくイメージできるようにしてみたアート作品【知識の玉】
『知識の玉』というタイトルで3冊の辞書を加工して作品を作っていきます。
ひたすらちぎって、クシャっとする
まずは1冊めの辞書を手に取り、何をしていくかというと・・・ひたすら辞書をちぎっていきます。
1ページずつです。
必ず1ページだけをめくって、その部分をビリっとするのです。
そして、ちぎった1ページを今度はクシャっと丸めていきます。
この作業をひたすら延々と続けていくのです。
やっと1冊めが終わりました。
床に丸められた紙くずが一面に散らかっているという光景も、あまり見たことがないですよね。
それはそれで面白いかもです。
だけど、この作業を実際にやるのは意外と大変なんですよ。
何しろ、1冊につき約2000ページ、つまり約1000枚の紙を「クシャクシャポイ」しなくてはならないわけなのです。
途中でだんだんと握力がなくなってきました。
作業の大変さが、情報量の膨大さを感じさせてくれる
この頃になると、辞書の1ページをちぎって丸めて放り投げるという一連の作業もだいぶ慣れてきました。
2冊目終了。
まるで、自分が紙くず製造ロボットにでもなったかのようです。
でも、この作業自体もこの作品にとっては意味のある行動なのです。
『知識の玉』は「情報の膨大さを視覚化する」というテーマの作品です。
故に、こうして一つ一つの作業を繰り返すことで、そのテーマをより一層強調する事ができるはずです。
もうちょっとで「クシャクシャポイ」は終わりです。
紙の山が完成!
とりあえず、辞書3冊分、約3000枚の紙をちぎって丸める作業が終わりました。
ちょっとした山のようになりました。
自分で言うのもなんですが、この量の紙くずは見たことがありませんねえ。
以前、どこかの美術館で「床に無数のキャンディーが散らかっている」と言う作品を見たことがあるのですが、それを思い出してしまいました。
この状態だけでもアートっぽいかもしれません。
まだ終わりじゃないけどね。
くっつける
ここからが、意外と大変でした。
紙の山のようになっている3000枚の丸められた紙となってしまった辞書を一つ一つくっつけて、球状にしていく作業をしていきます。
スランプの小説家の家に転がっていそうな紙くずみたいな辞書をくっつける作業には、グルーガンを使います。
グルーガンには電源が必要ですが、手軽にいろんな物を接着できるからすごく便利なのです。
手作業で一つ一つくっつけていかなくてはならないので、ここからの作業も先が思いやられます。
でも、「作業の蓄積」もコンセプトの一部だから頑張るのです。
かなり大きく成長してきました。
ここで、だいたい半分くらいです。
ちなみに辞書のページは必ず「1枚ずつ」ちぎってあります。
そうすることで、最大限にふわっとした感じで、巨大な球体を作ることができると考えたからです。
あともうちょっとで完成です。
あれだけあった紙の山がほとんどなくなりました。
1ページ分をくっつけるたびに、そこに書かれている情報を積み上げているようなイメージですね。
ここまでの塊を育てるのに(食事休憩を挟んだけど)10時間位です。
その間ずっと、ちぎっては放り投げ、それをクシャっと丸めて、くっつけてきたわけです。
『知識の玉』
相当な大きさの紙の塊です。
とりあえず、iPhoneを並べてみました。
これ、元はたった3冊の辞書ですよ。
その3冊の本の形状をしたものの中に、これだけの情報が詰まっていたということです。
普段の我々の認識と、本質がかけ離れた姿をしているものを視覚化するというのは、アートの方向性としては非常にわかりやすいものの1つですよね。
『知識の玉』もその系統のコンセプトの作品の1つとして制作をしてみました。
自分でも思っていなかったくらいに巨大な球体が出来上がってしまい「どうしよう」と言う気持ちになりました。(しまっておく場所という意味で・・・)
うちの奥さんに持ち上げているところを撮ってもらいました。
がっしりと両手で抱えなくてはならないくらいです。
3冊の辞書の形状の時とは違って、威圧感を感じます。
余談ですけど、実はこれ、先日の引越し直前に作りました。
なので、この日のうちに仕上げてしまいたかったので時間が足りなくなりそうで、必死でした。
まとめ
辞書に限らず『本』と言うのは情報の塊です。
しかし、『本』は言ってしまえば、情報をコンパクトにまとめて読みやすく、そして持ち運びやすくしてある物です。
その状態では、そこに詰まっている文字の量の多さだったり、含まれている情報量は想像しにくいです。
そこで『知識の玉』という作品として、3冊の辞書に詰まっている情報量を視覚化してみました。