iphone版ドラクエ1をプレイしてみて思ったこと

どらくえ
ドラゴンクエスト1のihponeアプリ版が12月10日まで無料との事なのでダウンロードして少しだけプレイしてみました。

ドラクエは小学二年生くらいに3をやったのが初めてでした。
当時はまだ文字を読むのがあまりできなかったので、親に村人のセリフとか読んでもらったりしてました。
それでもものすごくはまって、夢中でストーリーを進めていきました。
小学生の僕にとって本当に楽しくて、毎日スライムの絵ばかり描いていた気がします^_^;
そんなある日、ヤマタノオロチに全滅させられてリセットしたら、データが消えてしまったことを今でも覚えています。

初プレイはドラクエ3でしたが、後日2もプレイして、新作が出るたびソフトを買ってプレイしてきました。
気づけばドラクエは10まで発売してるんですね。
ドラクエ10はオンラインゲームということもあり、Wiiやテレビを持ってないのでやってません。
その他では、ドラクエ1だけは機会がなくて一度もプレイしたことがありませんので、やってみたいと思いダウンロードしてみました。

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iphone版ドラクエ1をやってみる

このドラクエ1はファミコン版そのままではなく、ios用にリメイクしたものらしいですね。
個人的には初代の、勇者が移動するときもずっと前を向いているのがやってみたかったです。
アプリを起動して、主人公の名前を入力してスタート!
タッチ操作なのでファミコン時代の十字キーで行ったり来たりする操作に比べたらすごい進歩です。
ドラクエと言うのは不思議ですが、初めてなのになぜか懐かしい感じがしますね。
王様の話を聞いてから宝箱をあけてフィールドに出て「広野を行く」が流れたときはちょっと涙が出そうでした。
(未プレイですがサウンドトラックとかでこの曲だけは知ってた)
だけど同時に違和感も感じました。
なんか、細部のバランスがとれていない…
この理由を自分なりに考えてみたのですが、グラフィックのドット絵?に対して音楽や文字が綺麗すぎることことが原因かなと思いました。
ファミコン時代から比べるとものすごく緻密ですがキャラクターや町並みなどは細かいドットで描かれているように見えます。
それに対して音楽はまるでフルオーケストラのような臨場感あふれる壮大さで、文字はベクトル画像のように滑らかに表現されています。
文字や音楽が今風なのに、グラフィックは懐かしい感じを出そうとしてる、奇妙な感覚です。

当時は扱えるデータ量が少なかった。

昔のゲームは現代のゲームをは比べ物にならないくらい少ないデータ量で作られています。
小さいころの愛読書「ドラゴンクエストへの道」というドラクエ1が誕生するまでが綴られた漫画本によると、容量を削るためにカタカナはよく使うものを除いて50音の全文字を使っていないそうです。
ゲーム中にたくさん登場するモンスターや街の名前を表現するのにそんな苦労があったとは今の技術からすると考えられません。
そうして必要のないものを削るに削られたドラクエ1は64キロバイトだそうです。
10年くらい前の携帯の待ち受け画像程度のデータ量で、こんなにも歴史に残るタイトルが作られたのですから驚くべきことです。
主人公の名前もひらがな4文字までしか選べませんでした。
当然音楽も、いかにも電子音という感じで、グラフィックや文字も荒いドット絵です。
でも、幸か不幸かこの組み合わせが初代ドラクエ1に限らず当時のファミコンのゲームの世界が統一感のある世界観にまとまっているものが多い要因なのではないかと僕は思います。

昔のゲームはおもしろかった?

よく、30代くらいの人が言いますよね「昔のゲームはおもしろかった」「今のゲームはつまらない」って。
これって半分あたっていて半分はずれだと思います。
今のゲームは、家庭用テレビゲームの初期のようなゲーム容量の制限は少なくなったかと思います。
故に、作りこもうと思えばどこまででも作りこめてしまうので、どこかでバランスがとれていない部分ができてくるのだと思います。
最近のゲームでもゲーム全体の完成度のバランスに本当に気をつかっているゲームはあります。
バランスがどこかおかしいゲームはつまらないと感じるのかもしれません。
当然、今のゲームでもすごくおもしろいものはあるし、昔のゲームでもクソゲーと呼ばれるものはたくさんあると思います。

夢中になりつづけるためには?

僕が思うにゲームには高度なコンピューターグラフィックとかってそこまで必要ではないと思います。
もちろんそのゲームのコンセプトによると思いますが、必要なのは必要なだけの作り込みです。
一番大切なのは、そのゲームの世界に意識が違和感なく入り込みつづけられることだと思います。
すごく壮大で美しいムービーシーンのあとに、急に平面的なキャラクターの操作画面がきたら、なんだか急に現実に戻されたように感じることがないですか?
逆に、全部平面的なドット絵に8bitなミュージックでずーっとプレイするほうが、ゲームの世界に浸り続けることができるのではないかと思います。
情報量が少なくてもそれさえ出来てしまえばプレイヤーが脳内で勝手に情報を補完してくれるはずです。
だからこそ、めんどくさいはずの25文字とか50文字の復活の呪文をメモしなくてはならなくても夢中でプレイ出来ていたのかもしれないですね。

世界観の統一が大事

これってどんなジャンルの創作物でも共通していることで、作品制作のうえですごく重要な事だと思います。
グラフィックや音楽って所詮、ゲームの装飾の部分でしかありません。
ゲームの本来の主題は、ゲームシステムやストーリーだったりすると思います。
例えば、洋服を選ぶとき自分自身の良さを引き出すための服を選んだりすると思うのですが、
もし、身の丈にあってないハデな服を選んでしまったらそのハデな服だけが目立って気になってしまうかと思います。
いろんなデザインやアート作品も一つの世界観の中でのバランスのとれた表現が大事ということです。

人それぞれのゲームに求める価値

ゲームに対して求める価値というのは人によって違うと思います。
僕は、最近だとモンハン4にはまっていて、モンハンは3DSで発売するようになってからやり始めたので下手くそなんですけど楽しみながらプレイしています。
このゲームはすごく完成度が高くておもしろいと思うのですが、インターネット上では「グラフィックがしょぼい」という不満のあるユーザーの方もいるようです。
確かにPS3とかのゲームに比べたらそこまでクオリティの高いグラフィックではないと思いますが、ゲームの内容とハードの特性を考えたらそれはそこまで重要なものではないように思います。
かくいう僕自身もFF7とかが発売された時はポリゴンでできた3Dのグラフィックや美しいムービーシーンに興奮したことを覚えています。
ファイナルファンタジーシリーズは3〜12までプレイしましたが発売するたびにものすごいグラフィックになっていって、プレイするたびに感動していました。
13以降はプレイしてないですが、このドラクエと対をなすRPGのシリーズはムービーと操作する画面の切替がすごく良く出来ているように感じます。
だからこそ名作と言われ続けているのかもしれませんね。

ユーザーの無数にあるニーズに答えるというのは本当に大変だと思います。
また、莫大な制作費がかかるためにゲームを作りこむ事自体ができないという話もよく聞きます。
ゲームを制作する側も何でもできるようになったからこそ、作ることが難しい時代になったということなのかなと思います。

「ゲームはアートだ!」と言っていた友人が大学時代の同級生で居るのですが、こうやって掘り下げて考えていくと本当に共通する部分が多いように思いました。

長くなってしまいましたが以上がihpone版ドラクエⅠをプレイして思ったことです。

ドラゴンクエスト ポータルアプリ 公式サイト

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